北斗晶が好きになる 感動のエピソード【乳がんに負けるな!】

 

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乳がんを患い「5年生存率が50%」であることを告白した、鬼嫁タレントで知られる北斗晶さん。

現在は右乳房の全摘出手術を受け、抗がん剤治療中であるという北斗晶さんは、自身の闘病生活をブログを通して公開しており、関係者の間でも「生存率のことまで明かすとは思わなかった」と言わしめるほどの赤裸々な内容が話題となっています。

そんな北斗晶さんは、鬼嫁タレントとして『強い女性』というイメージがありますが、その裏では数々の苦難を乗り越えた苦労人であることはご存知でしょうか?

そこで今回は、そんな北斗晶さんの復帰を願い『北斗晶さんが好きになる 感動のエピソードの数々』をお届けしたいと思います。

北斗晶さんのプロフィール

北斗晶 画像

出典:http://kensuke-office.co.jp

北斗晶(ほくと あきら)
本名:佐々木 久子(ささき ひさこ)
職業:元プロレスラー・タレント・実業家
出身地:埼玉県吉川市
生年月日:1967年7月13日生まれ
身長:168cm
事務所:健介オフィス代表取締役社長

農家の三人姉妹の次女として生まれた北斗晶さんは、神田女学園高等学校へ進学するも、女子プロレスの世界に魅せられ高校を中退。

当時は女子プロレスの人気が高まっていた時代で、北斗さんが門を叩いた女子プロレス団体への入団希望者は述べ35000人にも登りました。

そんな狭き門をくぐり抜け、わずか10名という合格者の中に選ばれた北斗さんは、1985年に念願であった女子プロレスラーとしてのデビューを果たします。

その後、北斗さんは他の新人レスラーがかすむほどの圧倒的な強さで連戦連勝を重ね、その年に開かれた『新人王決定トーナメント』では準優勝、年末の『女子プロレス大賞』では最優秀新人賞を獲得します。

こうした快進撃ともいえる活躍を見せていた北斗さんでしたが、デビューから2年後の『WWWA世界タッグ王座 防衛戦』にて、今後のレスラー人生が危ぶまれるほどの首の骨を折るという大怪我をしてしまったのです。

この首の骨折は、数ヶ月間も全く首を動かせないほどの重症で、担当の医師からも引退を勧められますが「プロレスを続けたい」という北斗さんの強い意志と8万人にも昇るファンからの署名活動のおかげもあり、再びプロのリングへと舞い戻ったのでした。

デンジャラス・クイーン『北斗晶』誕生

北斗晶 デンジャラスクイーン画像

出典:http://ameblo.jp/

1990年代に入ると女子プロレスの人気はさらに高まり、会場には男性客も大勢押し寄せるほどの盛り上がりを見せ始めます。

しかしそんな表舞台とは裏腹に、北斗さんのかつてのような快進撃は鳴りを潜め、ついにはメキシコへの派遣を言い渡されてしまいます。

そんなメキシコ行きに対し「使えないプロレスラーとしての烙印を押された」と感じた北斗さんは、改めてプロレスというものを深く考えるようになったといいます。

「魅せるプロレスとは何なのか?」

北斗さんは強さだけではない、見に来てくれるファンやお客さんのために自分が何ができるのかを真剣に考えました。

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その結果『般若の面』や『木刀』といった小道具や、ド派手な『歌舞伎の衣装』を身にまとった個性的なキャラクターを開拓。

その独特の雰囲気や場を盛り上げるパフォーマンスから”デンジャラス・クイーン”と呼ばれるようになり、1993年には当時、女子プロレスの世界で最強とうたわれていた神取忍さんを倒し、見事王者の座に返り咲いたのでした。

佐々木健介さんとの出会い

北斗晶と佐々木健介画像

出典:http://topicks.jp

そんな北斗さんは、1995年。

プロレス界の重鎮『アントニオ猪木さん』が北朝鮮で開催した『スポーツと平和の祭典』で、プロレスラーの佐々木健介さんと出会います。

ここで北斗さんに一目惚れした佐々木健介さんは、北斗さんに猛烈なアプローチを試みます。

この時の健介さんのプッシュは本当に凄まじかったらしく、ほとんど面識がないうちから勝手に隣に座り「本名も北斗晶ですか?」「何年にプロレスに入ったんですか?」などの質問を繰り返していたといいます。

また、後に当時を振り返った北斗さんは、この時の健介さんのアプローチについて「事情聴取かと思った」と語っていました。

そんな2人の出会いから間もなく、健介さんは帰国後すぐに「何度生まれ変わっても一緒になろう!」と結婚を申し込んだのです。

そして1995年。この健介さんのプロポーズを受けた北斗さんは、健介さんと結婚することを決意し、ここで晴れて『佐々木健介&北斗晶』というレスラー夫婦が誕生したのでした。

その後、1998年には長男を出産したため主婦業に専念していましたが、翌年にはプロのリングへと復帰し、日本人初の『ママレスラー』として話題を集めます。

友人の死と夫・佐々木健介さんの解雇

お葬式の画像

出典:http://www.photo-ac.com/

公私ともに充実した日々を送っていた北斗さんに、ある不幸が訪れます。

それは自分の息子と同じ年の子供を持つ、友人の死でした。

悲痛の面持ちで友人の葬式に参列した北斗さんは、自分の息子と同じ年の子が「抱っこ抱っこ」と母親が死んだことを理解できずに甘える姿を見て、同じ母親としての友人の無念さを痛感したといいます。

この出来事がきっかけとなり、以前から北斗さんの中で揺れていた『子供とプロレス』という思いに、ある一つの決意が芽生えたのでした。

それは、自身の大切な居場所でもある女子プロレス界から引退し、一家族の母として生きていくことでした。

引退後は佐々木家の専業主婦として日々奮闘していた北斗さんでしたが、ここでさらなる不幸が訪れます。

それは、夫・佐々木健介さんの突然の解雇でした。

試合での怪我をきっかけに、所属していた団体からも解雇通告を受けた健介さんと佐々木一家は生活が一変。

徐々に生活が苦しくなる中、ついには家中のお金をかき集めても6000千円しかなかった時もあったといいます。

そんな佐々木家の暮らしを支えたのは、妻であり、母でもある北斗さんでした。

北斗さんは苦しい家計を何とかやりくりしながら、庭に野菜を植えたり、生ゴミもほとんど出さないほどの節約ぶりで家族の暮らしを支えます。

そして、このころから少しずつ増えてきたテレビ出演などのオファーも積極的に受け、家計の足しにしました。

そんな折、かつてのイメージとは真逆の北斗さんの新しいキャラクターがお茶の間に受け、徐々にテレビでの仕事が増えていったのです。

鬼嫁としての北斗晶さん

お葬式の画像

出典:http://topicks.jp

こうして、夫の健介さんと共にテレビに出演するようになると、今度は尻に敷かれる見た目とギャップのある健介さんのキャラと強気な奥さんというコンビが「まるで夫婦漫才のようだ」と一気に注目を浴びるようになり、瞬く間に『強いのにかわいそうな夫と鬼嫁』というイメージで人気夫婦タレントの地位を確立したのです。

とはいえ、一般的にいわれるただの鬼嫁ではなく、どこか愛を感じる健介さんとのやりとりこそがこの夫婦の魅力であり、人気の秘訣でもありました。

その後は、夫のプロレスラーとしての活動もプロデュースするため『健介オフィス』を設立。

自らが代表を務めながら、健介さんのリングコスチュームからセコンド、さらには対戦データやプロレス団体のデータ管理までをもこなし、見事に夫を人気レスラーの座へと帰り咲かせたのでした。

こうして夫婦二人三脚の努力の甲斐もあり、佐々木健介さんは、2004年に東京スポーツ新聞者が主宰し、ファンが投票をして受賞者が決まる『プロレス大賞』を獲得。

名実ともに人気レスラーとしての地位を確立したのでした。

北斗晶さん 乳がん発症

お葬式の画像

出典:http://www.sankei.com

どん底から一転、家族総出で力を合わせて生活を立て直してきた佐々木家に、またもや不幸が襲いかかります。

それは先月、北斗さん自らが告白した『乳がん』の発症でした。

毎年がん検診を受けていた北斗さんでしたが、今回発覚したがんは乳頭の真下という発見が難しい場所で見つかり、直径2cm程度まで大きくなってしまっていた腫瘍は、片側の乳房を摘出するほどの大かがりな手術を受けなければなりませんでした。

乳房の摘出は女性にとっては耐え難い事態であるにもかかわらず「少しでも他の患者さんに勇気を持って貰えれば」との思いから、北斗さんは自らのブログで術前から術後、また闘病生活や家族の様子までを赤裸々に綴り、芸能関係者だけでなく多くのファンからの注目を集めます。

また現在は「5年生存率が50%」と医師に告知されたことも告白し、多くの人々からの励ましの声が集まっています。

数々の苦しい苦難を乗り越えた北斗さんであるからこそ、その言葉のひとつひとつに重みがあり、また優しさが詰まっているような気がします。

TimeCannleでも、北斗晶さんの完治を祈るとともに、1日も早い復帰を願っています。

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